katosvanidze18851907’s diary

知恵袋、okwaveで質問した回答したものをコピーして載せるだけのブログ。書いた文章は 自分の財産なので。つまりはこのブログは記録する倉庫の役割り。アクセス数やランキングは付録なので興味はない。物事、この世の深淵、本質、真理とは? 全ては知識と文章能力が解決してくれる 知識を付けて盲点を無くしていけば、。ゴールは現状の外に。 現状の外にゴールを作れば未来の記憶が作られるが、現状の内側にゴールを設定すれば、我々は過去にしばれる、過去 の延長線上を生きることに 過去からの脱するに未来に対してイメージ、臨場感を

中核派の大坂正明容疑者らしき方が別事件で逮捕されたらしいが、 中核派とは何か?中核派の利点欠点限界盲点とは?

中核派の大坂正明容疑者らしき方が別事件で逮捕されたらしいが、

中核派とは何か?中核派の利点欠点限界盲点とは?


反帝国主義反スターリン主義プロレタリア世界革命」とは、そもそも何か?

この思想、イデオロギーの利点欠点限界盲点とは?

(中核派の理想の世界が実現すると

どのような世界になるのだろうか?)


皆さんにとって、

中核派、との大坂正明

そして、

反帝国主義反スターリン主義プロレタリア世界革命」、とは?



<渋谷・警官殺害>大坂容疑者か 名前名乗らず黙秘


(毎日新聞) 01:11

https://news.goo.ne.jp/topstories/nation/44/c14dd6ebed542122ea397953bea35ff1.html

<渋谷・警官殺害>大坂容疑者か 名前名乗らず黙秘


01:11毎日新聞


<渋谷・警官殺害>大坂容疑者か 名前名乗らず黙秘

大坂正明容疑者=警察庁ホームページより

(毎日新聞)

 ◇広島のマンション 別事件の捜査で捜査員暴行で逮捕


 1971年に東京で起きた渋谷暴動から46年。警察官を殺害したとして指名手配されている大坂正明容疑者(67)の可能性がある男が、公務執行妨害容疑で逮捕された。捜査関係者によると、男は今月18日、別事件の捜査で広島市内のマンションの一室に踏み込んだ捜査員に暴行したとして逮捕された。男は取り調べに対し、名前を名乗らず、黙秘しているという。


 大阪府警は偽名を使ってホテルに宿泊したとして、有印私文書偽造・同行使容疑などで中核派の非公然活動家の逮捕状を取り、室内に踏み込んだ。室内にはこの活動家の他にもう1人の男がいた。この男が大坂容疑者とみられる人物だった。男は捜査員に暴行し、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。男は見た目が60〜70代で、大坂容疑者と容姿が似ていたという。


 大坂容疑者の足取りは73年11月を最後に途絶えていた。しかし、警視庁公安部が2012年3月、東京都立川市にある中核派の秘密部隊「革命軍」の拠点を摘発した際、群馬県内の病院で大坂容疑者を受診させるための計画書などが見つかったことで、生存して逃亡を続けている可能性が浮上した。


 さらに公安部は手がかりを得ようと16年、大坂容疑者が07年から08年夏ごろまで潜伏していた可能性がある東京都北区の中核派の拠点を摘発していた。【津久井達、堀智行】


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/革命的共産主義者同盟全国委員会

革命的共産主義者同盟全国委員会(かくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいぜんこくいいんかい、通称:中核派、ちゅうかくは)は、革共同系の日本の新左翼党派の一つ。


他称は、当初は本多派、前進派など。2006年の関西派(革共同再建協議会)との対立と離脱以降は、中央派、党中央、安田派などとも呼ばれる。公然拠点は前進社。機関紙は「前進」。「反帝国主義反スターリン主義プロレタリア世界革命」[1]を掲げる。警察白書では「極左暴力集団」[2]、マスコミは「過激派」と呼んでいる[3]。


大坂正明(67) - 1949年9月29日生まれ、北海道出身。殺人(渋谷暴動事件で中村恒雄巡査を焼殺)・放火・傷害・凶器準備集合・公務執行妨害[41]。大坂への罪(特に殺人罪)は公訴時効の停止と撤廃の関係から今後も指名手配される。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/渋谷暴動事件

渋谷暴動事件(しぶやぼうどうじけん)とは、1971年11月14日に日本の東京・渋谷において発生した暴動事件。

1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキ(11・10ゼネストまたは沖縄ゼネスト)に呼応して渋谷・四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、革命的共産主義者同盟全国委員会中核派)の学生ら約400人が1971年11月14日、渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶等で襲撃。中核派の学生らが規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)に所属する巡査を鉄パイプで殴打した後、大坂正明が火炎瓶を投擲。巡査は翌15日午後9時25分に死亡した。他3人が重傷を負った。


警察はこの事件のデモ隊を指揮した委員長松尾真を逮捕、大坂と星野文昭・荒川碩哉・奥深山幸男ら中核派の学生7人を犯人と特定し、その内大坂以外の星野・荒川・奥深山ら6人が1975年8月までに逮捕・起訴された。1987年7月に星野に無期懲役、荒川に懲役13年が確定した(荒川は2000年7月に満期出所)。大坂のみが現在も逃亡中で、殺人・放火・傷害・凶器準備集合・公務執行妨害容疑で指名手配されている[1]。1971年の事件の国内逃亡犯に対して公訴時効(殺人罪は当時15年)が成立せずに指名手配されているのは、共犯の奥深山が一審懲役15年で控訴中の1981年に精神疾患のために公判停止になっており、共犯者の公判中を理由に刑事訴訟法254条2項の規定で公訴時効が停止していたほか、2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃されたためである。