katosvanidze18851907’s diary

知恵袋、okwaveで質問した回答したものをコピーして載せるだけのブログ。書いた文章は 自分の財産なので。つまりはこのブログは記録する倉庫の役割り。アクセス数やランキングは付録なので興味はない。物事、この世の深淵、本質、真理とは? 全ては知識と文章能力が解決してくれる 知識を付けて盲点を無くしていけば、。ゴールは現状の外に。 現状の外にゴールを作れば未来の記憶が作られるが、現状の内側にゴールを設定すれば、我々は過去にしばれる、過去 の延長線上を生きることに 過去からの脱するに未来に対してイメージ、臨場感を

1.課長に叱られたと勘違いして、コンビニでカッターを購入して自分の腹を割いたが志木市の環境推進課の主任がおられたらしいが、 この方が腹を割いたのは、 課長から「ベテランだから、もう少し頑張ろう」という言葉を、頑張りが足りないから、最も踏ん張れとの ニュアンスで受け取めてしまったからではないのか?3.課長は頑張れではなく、 「あなたはならば出来る、」 「今は良くないのは、あなたらしくない、 あなたは本当は出来る人間だ」と 部下の主任を仕事が出来る人間として扱ってあげ 彼の自己イメージを変えてあげるか、 「今

1.課長に叱られたと勘違いして、コンビニでカッターを購入して自分の腹を割いたが志木市の環境推進課の主任がおられたらしいが、

この方が腹を割いたのは、

課長から「ベテランだから、もう少し頑張ろう」という言葉を、頑張りが足りないから、最も踏ん張れとの

ニュアンスで受け取めてしまったからではないのか?


2.頑張れは、語源的には、我を張るということであり、

人を追い詰めているようなニュアンスを含んでいる

Want toではなく、have toの言葉ではないのか?

これを言われた人間は脅迫観念を感じ生産性を下げるのでは?


3.課長は頑張れではなく、

「あなたはならば出来る、」

「今は良くないのは、あなたらしくない、

あなたは本当は出来る人間だ」と

部下の主任を仕事が出来る人間として扱ってあげ

彼の自己イメージを変えてあげるか、

「今は上手くいってないのは、ラッキー」

失敗しても、成功しても褒める、

もしくは「自分らしくない」等などの

言葉を投げかけて、自己肯定力(エフカシィー)を上げ、自主的な行動を促して自尊心(セルフエスティーム)を上げる等のコーチングを行なった方が良かったのでは?


4.皆さんならば、

この様な状況で部下に対してどの様な言葉を

かけますか?


5.古代中国三国志の時代に、

張邈と袁紹の使者が耳打ち、ひそひそ話しをしているのを聞いて疑心暗鬼で自殺した韓馥(かんふく)や、

曹操が間違えて空箱を、軍師の荀彧に贈ったらば

荀彧が拡大解釈で自分は用済みとの勘違い悟りの内に

憂悶し自害したなど、

勘違いで自害、自殺した人間達は大勢いるが、

先人の韓馥、荀彧や

今回の志木市観光振興課の主任の三人は

それぞれ、疑心暗鬼に駆られてしまい、

その疑心暗鬼を自分側からの視点からではなく

大きな視点から(抽象度、俯瞰度)を上げらなかったため、独断的な独りよがりの考えに陥ったのではなかろうか?



6.先人の韓馥、荀彧や

今回の志木市観光振興課の主任の三人は無敵の人の様に他者を巻き添えにして無差別殺人を行なわなかったのは、東アジア人として儒教的な素養で身につけらされてしまう恥の概念があったからでは、ないだろうか?


7.恥という概念は苫米地英人曰く、

恥とは、社会的な感情で、

「自分が周りと比べて劣っている」と受け止める、

自省すると発生する、そうして自己評価が下がってしまう、その自己評価を下げた状態をコンフォートゾーン、いわゆる居心地良い状態だと認識してしまう為??だからホメオスタシスを使いパーフォマンスが高い状態に自動的に導く様にするべきなのだろうか?





職業、中国歴史カテゴリー皆さんの

ご回答のほど、

お待ちしております。


「課長に叱られた」居酒屋で腹切りけが 志木市職員減給

2017年7月4日21時47分

http://www.asahi.com/articles/ASK7454KHK74UTNB00H.html


https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14137609399

三国志で、荀彧は、どうして、曹操から送られた空の容器を見て死を決意したんですか?



韓馥(かんふく)とはどんな人?三国志一被害妄想が激しく袁紹に怯え自殺してしまった武将

https://hajimete-sangokushi.com/2017/04/11/韓馥(かんふく)とはどんな人?/


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/荀イク

荀 彧[1](じゅん いく、163年(延熹6年) - 212年(建安17年))は、中国後漢末期の政治家。字は文若(ぶんじゃく)、豫州潁川郡潁陰県(現河南省許昌市)の人。『三国志魏志「荀彧荀攸賈詡伝」、及び『後漢書』「鄭孔荀列伝」に伝がある。


https://en.wikipedia.org/wiki/Xun_Yu

Xun Yu (163–212),[1][2] courtesy nameWenruo, was a strategist and statesman who served as an advisor to the warlord Cao Cao in the late Eastern Han dynasty.


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/韓馥

韓 馥(かん ふく、? - 初平3年(192年)10月以降[1])は、中国後漢時代末期の武将・政治家。字は文節。豫州潁川郡(現在の河南省)の人[2]。『後漢書』・『三国志』に記述がある


https://en.wikipedia.org/wiki/Han_Fu_(warlord)

Han Fu (died 191), courtesy name Wenjie, was a government official and warlord who lived in the late Eastern Han dynasty. He was the governor of Ji Province (present day southern Hebei) when the Yellow Turban Rebellion broke out in 184.


2017.05.02 キャリア・転職

転職の不安を解決せよ!苫米地英人に学ぶ感情コントロール

http://careersupli.jp/career/tomabechihideto/